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長谷寺の梵鐘  2010年12月号

 宇治山 慈光院 長谷寺は大同2年(807)徳一大師の開山で、長谷式十一面観世音菩薩像を本尊としている曹洞宗の巨刹である。この本尊像は鎌倉時代に戦火により焼失しなのを当時の統治者だった岩崎隆義が文保2年(1312・鎌倉後期)に地元の仏師であろう能慶に仏像を再現させ開眼した。その寄木工法仏像胎内を体腔診察カメラで胎内銘のあることを見つけ、中世の歴史が再生された。この本尊は福島県重文に指定されている。その長谷...

専称寺の緇素奉納塔  2010年11月号

 貞観2年(860)に延暦寺の別院として慈覚大師円仁が創建したのが山寺と呼ばれる立石寺で、松尾芭蕉が元禄2年(1689)に訪れたときに詠んだ「閑さや岩に・・」は有名である。この句碑は奥の院への参道にみえるが、根本中堂(国重文)の左にも嘉永6年4月に、一具庵一具という俳僧が「閑さや巌にしみ入蝉の声」と翁の句を正面に、右には己の「左羽に夕日うけつゝほとゝぎす」を認めた碑がある。この一具(1781~1853)は山形県村山...

江戸時代の俳句に残る 鰹の小名浜 2010年10月号

 節に切る松魚や蝿のむれる中  一具 江戸時代の盛りとなった頃の小名浜は、「平八百、小名浜千軒」といわれた位に磐城平の城下町をしのぐほどに賑わったという。 地理的にも近隣各村が肥えた農地を持ち、多量の米穀を産するのに反して半農半漁の寒村であったが、古代から続いた猟漁ばかりでなく、湊を持ち地の利を生かした廻船の拠点をして活発な経済的活動がみられるようになった。そこで延享4年(1747)、幕府は小名浜を直...

磐城三十三観音 第二十番札所龍澤観音 2010年9月号

山高く名におう佛龍沢や    流の末の月のあはれみ 南白土の市営墓園への登り口の沢を越え、薄暗い杉林の石段の山路を上り詰めると、参道にある水槽型の鋳型から出した金属性の心洗鉢には「平梅香町椎名鋳物工場製」とあり、小さながらも屋根付きの鐘楼もあって、補修された経年での縦ひびが痛々しい高さ0.5、直径0.5メートルくらいの半鐘には大正12年旧7月17日、奉納当村和田龍太郎とある。本尊は大同元年(806年)徳一大師作...

奥州磐城・泉の城下は桔梗の盛り花 2010年8月号

  岩城といふ町場で   小城や桔梗ばかりを売り歩行  一具 これは、磐城泉藩2万石の城下(泉町)の花売りを詠んだ俳僧一具庵一具(1781~1853)の一句である。一具は羽州村山郡楯岡村(山形県村山市)に生まれ、楯岡の本願寺に幼少のとき入門した。やがて本山の磐城平・山崎の浄土宗名越派専称寺に遊学、四十五世・大蓮社良吼上人秀嶺大和尚によって剃髪をうけ、仏道を修めた俳諧を好んだ僧侶で、この当時は三十歳半ばであ...