Entries

スポンサーサイト

歴史ふれあい 終了のお知らせ

平成23年5月をもちまして「歴史ふれあい」を終了とさせていただきます。今までご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。...

天心逝いて九十九年・秘恋の肖像  2011年4・5月号

平成23年3月11日、14時46分頃、三陸海岸沖を震源とした近代最大のM9という大地震が起きた。6メートルの津波は五浦海岸の六角堂を襲い去り、旧邸の天心の横顔と”亜細亜は一つなり”と彫られた詞碑近くまで上がったと報じられた。六角堂は東京美術学校長をした岡倉天心(覚三・1869~1913)の創設になる日本美術院が、五浦に移る前の明治38年夏に造った天心の瞑想の場であった。石碑造作中のある日、この辺で一枚の古写真が偶然見...

磐城三十三観音第二十一番札所 日吉観音 2011年3月号

「日吉とて 旅立つ道の 今が世や    なにとてこれに 障りあるべき」 永正元年(1504)欣蓮社良春上人開山になる専称寺末の浄土宗大運寺への急な坂を登り本堂に向かってすぐ左に観音堂がある、右には枝垂れ桜の古木がある。太い幹には空洞ができ樹医によって樹脂が詰められ、手当ての傷跡が痛々しい。本尊は木造の千手観世音菩薩立像(約0.8m)である。観音堂は、昔は日吉堂といわれ、宇高室の観音山にあったが、何時しか...

泉消防組の腕用喞筒 2011年 2月号

泉消防組の腕用喞筒(小名浜・小名浜消防署) 小名浜消防署玄関前に旧泉村で買入れた腕用喞筒と言われた明治時代の消火用手押しポンプ車が展示されている。その案内によると、明治41年に東京神田区鍋町で製作され、同年泉消防組一部(八木屋)に配置されていたものだという。ポンプ水槽の両側面に「泉村警防團 第一分團」。後部に「明治四拾一年(1908)新調。昭和15年・平成17年塗替」とある。当時、泉村の消防組織は組頭一名、...

出羽神社 2011年 1月号

汲みてたのしみ神の恵みを 片寄義忠 中神谷の出羽神社(旧郷社)は大物忌神を祭神とする神社である。由来を抄訳すると、約八百年前の鎌倉時代初期の正冶年間(1199~1200)、出羽国に所領を持つ佐藤信濃守信貫という人が承元元年(1207)7月、中神谷の座主館(通称館山)に移り来たりて社殿を営み、信仰厚い羽黒山権現を歡請したのが出羽神社の創建であるという。時代は下って鎌倉後期の徳治元年(1306)片寄の城主片寄義忠は西...
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。