七夕や小石ひろひに七所川 一具「犠徳山本覚寺寓中 須弥蒼海のいつくしみに何をか営まん。素より抖摟(僧)の身にしあらば、供養するにものなし。なくなく一字一石の妙典を書写して、即証正覚をいのるのみ」と詞書きがあるこの句は、元亀4年(1573)に創建された、現山形県村山市楯岡の儀徳山本覚寺と称す村山地方の巨刹の僧侶であった一具庵一具のものである。この俳僧一具(1781~1853)は、特に東北地方を...
磐城平藩内藤家に「小姓騒動」といわれる騒動があった。三大城主内藤善概(1619~1685)は義泰、俳号は風虎とも称した奥州俳諧の祖ともされる文人でもあった。延宝8年(1680)2月2日、家老の松賀族之助と上田内記宛に5名(井家九八朗21歳、山口岡之助19歳、大胡勝之進19歳、篠崎友之助18歳、山本金之丞17歳)の小姓の連名で退職願が提出された。家中に山井八右衛門という小姓頭がいたが、その小姓頭の配下では奉公できないからお...
鶴栖山宝善院長宗寺は文安元年(1444)、良貞和尚によって開山され、享保19年(1734)年に元勝和尚が再興したよいう真言宗智山派の古刹で本尊は阿弥陀如来。光背には、「文化7年(1810)無量寿如来 仏師長孫八幡別当明照院秀諺」の銘があるということからして、江戸中期の長孫における本地垂迹と仏師の存在を知ることができよう。また、百八地蔵の第96番札所でもある。境内には市指定天然樹木のタラヨウという、樹齢約350年と...