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和算家 松井秀簡の碑 2007年10月

 磐城泉藩の和算家でもある松井秀簡(1826~1868)は文政9年泉藩士松井兵蔵の第三子として生まれ、通称を兵馬、字は廉夫といった。長じては平藩の儒者神林復所に学び、17歳で徒目付兼教授に就任、安静2年(1855年)29歳で代官に抜擢された文武に長けた藩士であり、後に郡奉行を務めたという。この松井が生まれた頃は、孝養としての和算法から脱却し、天文や地理をもからめた実学的な測量技術を以って、初めての日本時ズを完成させた伊能忠敬(1745~1818年)らの国際レベルの測量技術が注目されているときでもあった。泉藩でも、特に松井にとっては、唐船見張り番所の海防や領内の検地、経済などへ向け、積分学の完成を見たばかりの和算法や、この新たな測量技術の習得に興味を持っていたに違いある増す。後に『当用算法』を著す三春藩の佐久間纘(唐軒1819~98年)や、広島からの棚倉藩に来て和算法による積分学を伝授する法道寺善(観山)らの算師に就いたのもうなずけす。算法の隆盛期に活動した松井秀簡の思想は、時の流れでは勤王論を説いたが入れられず、明治元年(1868年)6月22日に自刃した。43歳であった。大正14年、松井秀簡はその功によって位階を贈られ靖国神社に配祀されたと「松井秀簡君碑」はいう。



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