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シュウツカババア   2006年7月

真言宗智山派恵光山龍善院安養寺は平安時代後期の康治元年(1142)に開山されたという古刹である。堂前に、髪を乱し、目と口を大きく開き、肉付きない肋骨に不似合いなチチを垂らし、立てひざをした今にも掴みかからんとする形相の鬼婆のおうな石像がある。三途の川で死者の着物を剥ぐという葬頭河婆である。冥土に旅発った死者は初七日に整然の取調べを受け、三途の川を渡ることになる。川岸には奪衣婆とも言われる葬頭河婆がいて死者の衣類を剥ぎ、懸衣翁に渡す。翁はそれを衣領樹という木の枝に掛け、そのしなり具合で生前に死者が犯した罪の軽重をはかり、次の裁判官に知らせるのである。罪の重さによって三途の川はその名の通り三通りの渡り方があるのある。善人であれば橋を渡り、それほどの悪でもなければ浅瀬を、大悪人であれば激流の深瀬を渡河せねばならない。7日ごとに別の裁判官の判決があって、7回目の四十九日に結審して来世の生まれ先が決まる。『日本霊異記』『今昔物語』の説話にも登場するこの室町期の頃から信仰されてたという十王経は、本寺に弘安8年(1285)6月10日に住職快円が先師おn49日に建てた供養塔があり、現に葬頭河婆がシュウツカババアと訛りながらも地元につたえられていることからして、鎌倉期に十王信仰がこの地に盛んだった様子が知れよう。寛政4年(1792)に寺とともに焼失したという寺録には、葬頭河婆と弘安の供養塔、それに古代磐城の信仰を知る多くのことどもが、記されていたことと思われる

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