fc2ブログ

Entries

磐城三十三観音 十番札所 出蔵観音

 
 明治十二年(1879)、東京帝国大学は印度哲学科を開講した。ときの総長加藤弘之は、迷うことなく原 坦山を抜擢したのである。坦山は法名で覚仙とも号した。名は良作。文政二年(1819)十月、磐城平藩士新井勇輔の長男として生まれた。神林復所の推挙により十二歳で昌平黌(東京大学の前身)に学ぶ。昌平黌では頼山陽の息、頼三樹三郎と机を並べたという。天保十一年(1804)禅門に入り、叡山に上って天台も学んだ。京都で蘭医の実証的方法に感化され、仏法も改善が必要と、仏教の迷悟修行の革新を目指したのである。弘化四年(1847)に「無明論」、安政七年(1860)に「心識論」など十冊余りを著した。京都の心性寺時代は蓮月尼、鉄斎らと土をひねり、茶を楽しんだ。維新を迎え仏教低迷のときに、新仏教樹立を唱えていた坦山が迎えられたのである。明治18年学士院会員・曹洞宗菅長に就いた明治25年(1892)7月、臥して数日、知友門人らに「拙僧儀即刻臨終仕候此段御通知に及び候也」と認めた。遺書をと請えば、坦山笑って「死後のこと、また何をか言わん」と悠然と白髯をなでて示寂したという。三回忌に門下生が建立した大内青巒(東洋大学学長)撰文の「覚仙坦山老師碑」は駒沢大学本館前にある。

top2005-8.jpg
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://ihojin.blog99.fc2.com/tb.php/19-7df98d8e

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する