fc2ブログ

Entries

戊辰戦争・新田坂の戦い(渡辺町新田坂)

 旧家で見つかった明治七年の絵図面には植田と結ぶ今の車道はない。だが「山道がある。参勤交代の列も通った道か」と言うことで、聞いたり調べてもらったりした。驚くことに近隣の殿様は勿論、日本地図を完成させるに四千万歩を歩いた男・伊能忠敬、祐天上人らも通っている。地元の有志は探査に入った。宿場の地勢を遺す旧道を植田へ。工場の左手を登って行くと作家上泉秀信が疎開していた跡にでる。数度の路査で旧道と茶屋跡も見つけ復元した。 JR鉄路に向かって下り、県道常磐・勿来線と合流する。そこまでの山際の山上に、壘と築き大砲を撃った旧街道が通っていたのである。慶応四年(一八六八)六月二四日に八幡山を落城させた西軍は、二八日の早暁、隊を二分し、一隊は植田より小浜、大剣の海岸を泉館へ。別の一隊は新田坂へ。平藩の梶原金左衛門が率いる、仙台、平、相馬の隊は新田山に砲台を築き待ち受けた。平潟上陸後初の壘堡戦に当面した西軍は苦戦。泉を落とした薩摩藩が二隊に分かれ、小山、横山を通り山の左からと坂の背後から攻めたので、東軍は不意を突かれて敗走し、小名浜から援軍途上の仙台隊に合流した。西軍は戦死三、負傷十名。東軍は中村藩の戦死四、負傷一名の記録だけが残った。





top2005-6_20071018230037.jpg
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://ihojin.blog99.fc2.com/tb.php/20-75bfafdc

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する