平慶寺 林泉院 安養寺は応永十三年(1406年)の開山と寺伝にあるという古札刹で、浄土宗名越派の専称寺のある末寺である。中興もあり起状があったそれらの寺歴史料は火災ですべて失ったという。ご朱印状も含まれていたであろう。幸いに、難を逃れた運慶の作と伝えられる阿弥陀本尊の胎内から紙片がみつかり、重要な史料となるかと期待したが判読できなかったという。地域の寺子屋として活動した寺は、明治期の学制で下平窪小学校となった。 寺には椎名為七が造った鐘がある、鋳物師の家系である椎名家は、信教の仏像や神像、武具甲、農具や鍋釜の生活必需品までつくった室町期から代々勅許御鋳物師として活躍した家柄である、延享4年に椎名久兵衛国光らが造った好間川中子の愛宕神社境内の梵鐘より椎名為七の安養寺の梵鐘は、百六十八の時代がながれている。為七の時代は近代工業化の到来で、鋳物師は日用品や民芸品、恵比寿、大黒など一般家庭の祭壇を祀る像などを作らざるを得なくなってきていたのである。
花のくれ 泉の鐘や 六つ早し
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