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天狗堂の堅通法師 2007年11月

 城三十三観音の13番礼所である下川観音の天狗堂裏手に堅通法師慰霊の二つの石碑がある。この明治34年(1901)に地元の有志が建てた自然石の碑と、昭和44年(1969)の350年遠忌に再度有志によって建てられた五輪塔には花香がたえることがないのである。
本尊の堅通法師とは如何なる人物であろうか。今では地元でも知る者は少ないといわれているようだが、時は徳川二代将軍秀忠の時代のころである。今では明治の廃仏毀釈で下川に寺院はないが、江戸時代は「下川千軒」といわれたほど海運で発展した商業の町であり、寺も5・6箇所あたのである。ある日、下川湊に仙台から乗った若い僧が下船した。上方に行く船に乗り継ぐためである。乗るべき船はいつ来るかわからないので宿をとった。活気ある下川の町は、読み書きソロバンの塾ブームの真っ只中で寺子屋は教師不足であったから、僧は学問があるというのでたちまち勧誘をうけた。だが、この僧は僧位を得るための上京途中であるので断った。すると、船待ちの間だけでもと言うことでスカウトされてしまったのである。この僧が堅通法師であり、勧誘したのが惣右衛門という地元で農業、酒造業などを営む事業家であった。このときの一瞬の出会いが、やがては大きな確執を生み、四谷怪談や番町皿屋敷などと共に「日本三大祟り」の一つともいわれる奥州磐城の「惣右衛門祟り」の発端となったのである。

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