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八剣神社 2008年1月

 平安後期、前九年の役中の天喜(一〇五三~五八)年間に都の政治に従わない東北の一群を討つために東征した源頼義・義家父子が、八剣神社に義家帶刀の宝剣鶴丸と錦の御旗を奉納して必勝を祈願、更に尾張の熱田神宮から日本武尊の遺品の一部を移して勧請したのが八剣神社の興りであると社伝はいう。勧請の地は小舘の山頂であったが、山中の難所にあり参拝にも不便であるので、約二百年を過ぎた鎌倉期の建長二年(一二五〇)に領主岩崎氏の助成もあって旧跡に小社を遺して現在地に移転、以後も歴代領主に加護されながら現在に至っているという。拝殿の天井全面には板に彫られ古色を帯びた数頭の飛竜が躍動し、天井から踊り出るのではないかと錯覚する。本殿側面の彫刻はスサノオノミコトの八岐大蛇退治と日本武尊の故事からであろう。背面の彫刻には「三韓」(新羅、百済、高句麗の総称)と文字がある戦闘場面だから、第一四代仲衰天皇と熊襲征討に同行したときの神功皇后ではなく、後の応神天皇を宿しながらも腹に石を抱き、軍船団を率いて新羅に進攻したという神功皇后の騎馬戦の姿であろう。この外征のとき、難波の住吉神社に必勝を祈願して戦勝を得たことから、新羅から伝染された流行病、特に猛威をふるった疱瘡(天然痘)には、三韓を降伏させた住吉大明神の神力で病魔退散は必至であると信じられるようになった。村人を脅かす八岐大蛇を退治し、天照大神に奉った天叢雲剣(草薙権)のことなどをからめて、彫刻群は日本神話を今に伝えている。本殿は地元下高久の棟梁矢吹市右衛門の造作で、平成十七年四月二十七日いわき市の文化財に指定されている。

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