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初代磐城平藩主 鳥居忠政創建の長源寺 2008年2月

白木錦小庫裏ながらも花桜 露沾

 淵室山長源寺は、磐城桜が丘高等学校(旧磐城女子高校)に隣接する曹洞宗の寺である。この辺は桜町、桜台という桜の名が古くから残っている。築城後に、鳥居忠政が植樹したのだろうか。後の城主内藤家の露沾に長源禅寺という一句がある。小さな庫裏を詠んだものである。寺の写真に残る、昭和二十一年に火元となった萱葺きの建屋に似た庫裏だったのではなかろうか。開祖は関が原の戦いで活躍した鳥居忠政(一五六六~一六二八)。戦後の慶長七年(一六〇二)、下総国矢作四万石から磐城平へ十二万石で移封した。父の鳥居元忠(一五三九~一六〇〇)は、主の徳川家康(一五四二~一六一六)が会津の上杉景勝(一五五五~一六二三)討伐に東下中、この家康の留守を衝いた西軍四万が伏見城を攻撃したときの城主であった。手勢千五百は孤軍奮闘。衆寡敵せず。鳥居元忠は自刃で散った。伏見城の床は血天井として今に残る。慶長七年、家康が鳥居忠政を岩城平に入部せしめたのは、伊達、上杉等への対峙であった。築城には慶長八年から約十二年を費やしたという。平移封に際して忠政は、祖父と父の位牌を持参していたのである。長源寺の開祖は慶長七年(一六〇二)というから、鳥居家菩提寺建立が築城計画と共にあったことは確かである。寺名は、父の戒名「清流院殿淵室長源大居士」から淵室山長源寺と決めていたのである。徳川二代秀忠からの御朱印があり、寺領は百石であったという。

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