さはこのみゆ 拾遺和歌集
あかずして別るる人の住む里は
さはこのみゆる山のあなたか 読人しらず
湯泉神社は佐波古神社とも称される平安初期の延喜五年(九〇五)に勅命をうけ、康保四年(九六七)に
施行された律令による延喜式神社で、磐城七社の一つである。温泉湧出する湯ノ岳を神体山として
少彦名命を祀り、十二代景行天皇の御世の日本武尊東征以来、三輪山明神の大物主大神を合祀した。
約一三五〇年以前の白雉二年六五〇年代に湯ノ岳から下山して里村に移ったという。
二代磐城平藩主内藤忠典が慶安四年(一六五一)に現在地に新造し、延宝六年(一六七八)内藤義概(風虎)が再造。また四代内藤義孝は延喜式磐城七社の復興に尽力したというから、内藤家三代の敬神の程が伺える。神官の佐波古家は文学に秀で、化政期の俳書に名をとどめた梅園東峨がいる。多くの文学碑が立ち並んでいる境内への道に、寛弘二~四年(一〇〇五~〇七)ごろの成立という古今・後撰集にもれた和歌を拾った勅撰和歌集で、撰者は花山院とも伝えられる三代集の第三『拾遺和歌集』に載る「さはこのみゆ」が、芸術院会員草野心平の筆で建つ。
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