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磐城平落城、北への道 2008年7月号

磐城平落城、北への道   (双葉郡浪江町北幾世橋・大聖寺)

 旅人の歩みもしばしたゆむらん
    村雨そゝぐ花の萩原 鶴翁

 慶応四年(一八六八)七月十三日、平城は落ちた。川内村から安藤信正(鶴翁)をはじめ兵士たちは雨路を黙々と浪江へ向かって歩み続けていた。曇り気味だった十八日の朝、安藤対馬守の奥方と子息、側役衆約六十人が二週間ほどの幾世橋村の郷士馬場俊助家滞在を終え、北に向けて出立した。入れ替えるかのように、その晩、浜街道に出た兵士たちは同じ馬場家へ入ったのである。十九日には本隊と見られる御用人味岡重右衛、儒者室衡平、家老上坂助太夫、川嶋金八郎ら二十人位の一行が、また、二十、二十一日にも続けて馬場家に入っている。同行した味岡礼質の「戊辰私記」よると、「十八日、予相馬幾世橋村二赴キ同村ノ郷士馬場俊助氏ノ家ヲ以テ我ガ藩ノ仮本営トナス同村ハ本街道ヨリ十町余高丘ニ一寺アリ輿仁寺ト云ウ往昔相馬侯ノ別館アリシ所ト云ウ此寺ヲ以テ老公ノ仮館ニ充ツ・」とあるように、磐城平藩は本営を馬場宅に、藩主の館は高台にある興仁寺とした。興仁寺は相馬藩主五代相馬昌胤の菩提寺であり、鐘楼には、「奥州相馬幾世橋祟徳山興仁寺鐘銘・・云々。梵声脱苦懲悪帰法勧善安眠幾世増栄・・。宝永六年(一七〇九)四月、相馬昌胤発願」の大鐘(現国重文)が架かっていた。崇徳山興仁寺(宝永五年、旧寺跡に創建、寺領百石)は明治五年相馬市内に移り、浪江町幾世橋の地には、龍燈山大聖寺がアカガシ樹林(県天然記念物)に囲まれて建つ。

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