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なお 北進。 2008年10月号

なお 北進。  (双葉郡双葉町長塚・新山・新山城跡)

 慶応四年(一八六八)七月二十八日の熊川(大熊町)の戦闘では西軍の攻撃を支えきれず新山、長塚で戦いを交えながら浪江の幾世橋村に後退した。夜半に村中が騒がしい。村人が家財を担って移動中なのだ。翌朝、請戸浜に出ると砲台は壊され、一門の大砲も無いばかりか仙台、米沢兵の姿もない。異常を感じた幾世橋守備の平藩小隊長は、移動中の本隊に報告すべく隊をまとめて小高に向かった。報告を受けた上坂総長は、すでに原町の東郡指揮所の動きにも不審を持っていた。相馬藩は西軍ひ降伏するとの噂はあるが、わが平藩は先の平城六間門の戦いで数百人の男女が相馬藩隊長相馬将監に救われていることから、西軍の中村城攻略時にはその恩義に報いる戦いをすべきと決めていた。相馬藩の西軍に通じる誓書を入手した東軍は、八月六、七日、仙台藩木村又作と磐城平藩神林千次郎を使者として相馬藩と談判したが、誓書は偽書だと言う。内容を責めると、「藩主が西軍に降ることを決め、すでに西軍兵士千人余りが中村城内に入っている」というのである。談判は決裂した。屋外で大砲三声が轟く。開戦の号砲であった。これより先の八月四日、仙台藩から「相馬藩の変心確証を得た。速やかに仙台藩領内に引き揚げるべし」、と同時にに上坂総長よりも同報があった。隊を整えた総長は、先行した鶴翁安藤信正の居る仙台へと、暴風雨の夜道を強行軍で敵中を
突破。明け方に仙台領境の駒ケ嶺に着いた。

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