建暦二年(一二一二)正月二十五日に遷化なされた浄土宗の開祖法然上人の命日を
期して、浄土宗・福島教区浜通り組青年会は、青年会結成三十周年記念事業として
磐城の浄土宗の古刹専称寺と如来寺を第一、第二会場として平成十九年一月二十四日と二十五日に「六時礼讃会」を挙行した。六時礼讃は、唐の善導大師が浄土往生の行儀として編んだもので、昼夜二十四時間を六時に分割、浄土の阿彌陀佛を礼拝讃歎する曲調を付した偈頌行法である。二十四日夕方から専称寺で始まった礼讃会は、日没(16時)・初夜(20時)・中夜(00時)・後夜(04時)・晨朝(06時)の礼讃。翌二十五日(08時)、如来寺に移って式典、法話。最後の日中法要(11時)を雅楽奏上で結縁し、古来の法式を復元した。兼好法師の『徒然草』に「六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽と云ける僧、経文を集めて造りて、勤めにしけり。その後、太奏の善観房といふ僧、節博士(音符)を定めて声明(声楽)になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨の院の御代より始まれり。法事讃も、同じく善観房始めたるなり。」
とある。この安楽らが、後鳥羽上皇が熊野行幸中に、六時礼讃の音曲に魅了された女官の「鈴虫」と「松虫」を出家させたとして死罪に。院の逆鱗なお止まず。
この事件が契機となって法然上人は還俗され讃岐に流罪となったのである。
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