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風船爆弾放球の地

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 空駆くは銀河ばかりでなかりけり

 JR勿来駅前のR6を水戸方面に上る。三叉路の信号機を右に、常磐線の高架橋を渡り下ると小川に架かる第一関田橋の十字路がある。左折すれば国民宿舎・勿来の関荘への道。その角地に、山口茂吉学碑と並んで「風船爆弾基地図」という「勿来の関顕彰会」が平成20年2月に建てた案内板があり、風船爆弾全体図と勿来基地跡図が詳細に描かれている。第二次世界大戦末期の昭和19年11月7日に、日本は「ふ号」という作戦を実施した。和紙にコンニャク糊を塗った直径10メートルの円形の気球に水素ガスを充填させ、15キロ爆弾と5キロ焼夷弾4個とバラストの砂袋等を吊って約1万キロメートル先の米国本土を空爆すると言うのである。日本と米国本土を結ぶ太平洋上8000メートル上空に、晩秋から冬季にかけて吹く時速250キロのジェット気流に乗せると爆弾は4・50時間で米国に着くことになる。放球の最適地は国内三箇所しかないらしい。その一つに勿来のこの地がえらばれたのである。海に近く、上空に気流がある。周辺の小山が海風を遮ってくれるし、防喋的にも適しているというのが主な理由だった。勿来駅から500メートルの基地までは、水素ガス運搬の専用線路が引かれ、貨車50台が着くホームも造られた。この「ふ号」作戦は、気流が弱まる翌20年の春3月までの5ヶ月の攻撃であった。そのトシの8月6日午前8時15分、世界で最初の原子爆弾が広島に投下された。そのエネルギーはTNT1トン火薬爆弾の1万2500倍であり、日本が3基地から朝夕米国に放った風船爆弾は9300余個であったという。
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