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光照寺の銀杏 2009年11月号

光照寺の銀杏   (平・下山口)

杏音に称名清し夕雲雀 露沾
 
 光照寺は薬王寺末の真言宗智山派で、山号は日光山、金剛院といって慶安元年(一六四八)に徳川家三代将軍より寺領に五石の御朱印状を受けて、門弟寺も四ヶ寺ほどあったという福島八十八ヶ所霊場の第五十六番札所でもある。嘉永三年(一八五〇)の大火で寺物記録を失い詳細は不明であるが、代々の磐城平藩主の守護があり、寛永十九年(一六四二)、権大僧都堅貞甚賀和尚の代に下野国(日光市)二荒山神社より日光大権現が境内に勧請され、別当寺として天下安泰、災難防除、民安安泰、大漁豊作を祈願。全山の孟宗竹は梵天や漁網取り付けにと使われたという。この二荒神社は明治の廃仏毀釈で近くの小山の山頂に遷座されている。時下りて、寺宝は徐々に失われていったという。ニュータウン開発の波によって開拓され、山中だった当地は樹木の蔭もうすらぎ分譲宅地と交通路のみに整地され、近隣は過疎化が浸透しているかにみえている。だが、その日光山光照寺の門前に樹齢約四百五十年以上といわれている古来の風をうけた二本の大銀杏が凛として現にそびえている。今から三百年ほど前、この寺で真言密教の儀式が催されたときのことである。当時の磐城平藩主内藤家の露沾(一六五五~一七三三)は、この灌頂の席に列していたと思えるのである。内藤露沾五十歳代の詠みであろう。
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