面白や たずねきてみよ 光厳寺
くれなゐ(紅)梅に ますがたの池
門前の塀に並ぶ十六羅漢に護られた別当の大乗峯山安祥院光厳寺は、弘仁八年(八七一)に豪海法印によって開山された真言宗智山派の古刹である。白山信仰の盛衰と共に山号も白山から大乗峯山、寺号も光厳寺から安祥院へと何時しか通称されるようになったのであろう。
磐城八薬師の第一番札所の別当でもある寺の本尊は、行基菩薩作と伝えられている金剛界大日如来で、前九年の役に赴く八幡太郎義家が戦勝を祈願したとも伝えられている。
観音堂内は天井画が描かれ、欄間は龍神や舞い奏でる天女が彫られている。仏龕の秘仏は、近くに寄れないから定かでないが小さい。三寸八分(約十二糎)の聖観音菩薩であろうか。側に等身に近い千手観音菩薩も座しておわす。
延享元年(一七四四)に観音山から移転されたという境内の観音堂を詠んだ当時の磐城平藩主内藤政樹の実父義英に当たる内藤露沾(一六五五~一七三三)の「堂高く 池水きよし 蝉の経 露沾」が円盤状の句碑となって、ご詠歌に詠まれている「ますがた」に角張った池端にある。内藤家磐城六代藩主の内藤備後守政樹(一七〇三~一七六六。俳号・沾城)は、その三年後の延享四年(一七四七)に日向の延岡(七万石・宮崎県)に転封となり磐城を去った。代々を重ねた露沾の句碑の傍らには件の紅梅が馥郁たる香を漂わせている。
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