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俳僧 一具庵一具と専称寺 2010年7月号

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  七夕や小石ひろひに七所川   一具

「犠徳山本覚寺寓中 須弥蒼海のいつくしみに何をか営まん。素より抖摟(僧)の身にしあらば、供養するにものなし。なくなく一字一石の妙典を書写して、即証正覚をいのるのみ」と詞書きがあるこの句は、元亀4年(1573)に創建された、現山形県村山市楯岡の儀徳山本覚寺と称す村山地方の巨刹の僧侶であった一具庵一具のものである。この俳僧一具(1781~1853)は、特に東北地方を襲い、仙台藩では五十万の餓死者をだしたという5・6年も例外が続いた天明の大飢餓(1781~1788)の時期に得度をした寺の近くに住む一少年であった。その高梨愚春が長じて磐城平の梅福山 報思院専称寺という応永2年(1395)に開山され、末寺二百といわれた浄土宗名越派の「奥州総本山」で修業をし、帰郷後本覚寺で僧侶として勤めをしていたときの句であろう。一具は小僧の頃から本覚寺の近くに住む原田吟霞という俳諧師に手ほどきを受け、また松窓乙二の門に入り、須賀川の多代女と歌仙を巻いたりして地方俳人としても認められるようになった。福島市の大円寺の住職になった後、務を法弟に譲り江戸に出て俳諧に専念すえうことにしたのは一具43歳のときであった。一具に「梅福山」とした一句がある。磐城の専称寺を流れる夏井川に一字一石経の小石を跋渉した頃のものか。(梅福山)一ツづ、石載て夏書かな 一具
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