fc2ブログ

Entries

奥州磐城・泉の城下は桔梗の盛り花 2010年8月号

top2010-8.jpg

  岩城といふ町場で
   小城や桔梗ばかりを売り歩行  一具

 これは、磐城泉藩2万石の城下(泉町)の花売りを詠んだ俳僧一具庵一具(1781~1853)の一句である。一具は羽州村山郡楯岡村(山形県村山市)に生まれ、楯岡の本願寺に幼少のとき入門した。やがて本山の磐城平・山崎の浄土宗名越派専称寺に遊学、四十五世・大蓮社良吼上人秀嶺大和尚によって剃髪をうけ、仏道を修めた俳諧を好んだ僧侶で、この当時は三十歳半ばであったろうか。一具は専称寺に在住中に白石の松窓乙二の門に入り夢南と号し、乙二とその門人である須賀川の市原多代女と三吟歌仙を巻き、俳諧修業の旅にでることも多くなった。
泉藩内に入ったのは、城下に専称寺を総本山とする寺院が五ヶ寺ほどあり、その用務の為であろう。城下町でみた桔梗の花売りの風情と、故郷山形の花を付け飾ったあの花笠被りの姿がダブったか。当時の泉藩は本多家二代本多忠籌の後をうけた三代本多越中守忠誠の治世(寛政11年1799~文化12年1815)であったであろう。この頃から異国船が近海に現れはじめた。老中松平定信は海岸防備を画策。幕府は海防強化を諸大名に命じた。海外から門戸を叩かれ、内国騒動多発の多難なときでもあった。一具は福島市大円寺の住職となり磐城を離れ仏道に専念することになったが、俳諧への思い絶ちがたく文政年間に寺を弟子に譲り江戸へ出たのである。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://ihojin.blog99.fc2.com/tb.php/60-969ccbeb

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する