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磐城三十三観音 第二十番札所龍澤観音 2010年9月号

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山高く名におう佛龍沢や
    流の末の月のあはれみ

 南白土の市営墓園への登り口の沢を越え、薄暗い杉林の石段の山路を上り詰めると、参道にある水槽型の鋳型から出した金属性の心洗鉢には「平梅香町椎名鋳物工場製」とあり、小さながらも屋根付きの鐘楼もあって、補修された経年での縦ひびが痛々しい高さ0.5、直径0.5メートルくらいの半鐘には大正12年旧7月17日、奉納当村和田龍太郎とある。本尊は大同元年(806年)徳一大師作といわれている十一面観音。室町時代の永享元年(1429年)岩城清胤の居城であった白土城を、四倉地方を基とした岩城隆忠が長友城から攻略し落城させた。薬王寺の末寺である大龍寺であり、これは新たな支配地への統治であったであろう。観音堂は磐城三十三観音霊場が整備確立してからのものであろうが、廃仏毀釈で廃寺になるまで上山口の光照寺末として栄えた。本道は上高久の浄日寺(真言宗)に移転され観音堂だけが残ったという。現在の別当は近くの増福寺(浄土宗)である。増福寺の堂宇建立略史碑によると、増福時の現在地が磐城下総守隆忠の居城(今いう旧館)跡であるという。享徳2年(1453)の開山で、住職は如来寺第五世良観上人の嫡弟である如来時六世願蓮社良弘上人天藝大和尚で、磐城十二代岩城隆田忠が没したときには導師として寺中に葬ったとある。

 観力に幾世も尽くす早松茸    内藤露沾
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