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専称寺の緇素奉納塔  2010年11月号

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 貞観2年(860)に延暦寺の別院として慈覚大師円仁が創建したのが山寺と呼ばれる立石寺で、松尾芭蕉が元禄2年(1689)に訪れたときに詠んだ「閑さや岩に・・」は有名である。この句碑は奥の院への参道にみえるが、根本中堂(国重文)の左にも嘉永6年4月に、一具庵一具という俳僧が「閑さや巌にしみ入蝉の声」と翁の句を正面に、右には己の「左羽に夕日うけつゝほとゝぎす」を認めた碑がある。この一具(1781~1853)は山形県村山市楯岡の人であり、立石寺に句碑があっても不思議ではないが、いわき市内の泉町や小名浜をも詠んでいる俳人なのでもある。いわき市平の梅福山専称寺で修行をして楯岡の本覚寺に還り、後に福島市の大円寺の住職に就いたが、職を法弟に譲り俳諧に専念すえうために江戸にでた俳僧であった。当時は夢南と号し、一具庵夢南と称して、須賀川の多代女と歌仙を巻いたこともあり、山寺立石寺と共に古刹である寒河江の慈恩寺(国重文)本堂に掛かる俳額にも奉納している。その一具はペリーが軍艦四隻を率いて来朝した嘉永6年(1853)の11月17日、風が元で寂した。73歳であった。年譜には、深川霊厳寺に葬り、芝大養寺と岩城専称寺に分骨。法名、開蓮社良導悦應和尚とある。六時礼讃の華籠から舞い散る花々をみる森閑とした梅福山邦恩院専称寺歴代住職の墓域に、「奥羽両国緇素歯骨奉納塔」と彫まれた小型板碑がある。俳僧の一具庵一具の墓であろう。
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