fc2ブログ

Entries

長谷寺の梵鐘  2010年12月号

top2010-12.jpg


 宇治山 慈光院 長谷寺は大同2年(807)徳一大師の開山で、長谷式十一面観世音菩薩像を本尊としている曹洞宗の巨刹である。この本尊像は鎌倉時代に戦火により焼失しなのを当時の統治者だった岩崎隆義が文保2年(1312・鎌倉後期)に地元の仏師であろう能慶に仏像を再現させ開眼した。その寄木工法仏像胎内を体腔診察カメラで胎内銘のあることを見つけ、中世の歴史が再生された。この本尊は福島県重文に指定されている。その長谷寺の一角に小型ながら百四十余年の新たな歳を告げ、百八の煩悩を払拭してきた梵鐘がある。鐘には「平・椎名氏作 勅許文久3年癸亥」とある。これを鋳った椎名氏の祖は、日向国(宮崎県)に発すると言われ、一族は諸国に分かれていったが、秀吉より天成9年(1581)に知行百石をうけた椎名国定は、関ヶ原の合戦後に磐城にきて愛谷村(好間町)で勅許された鋳物師として磐城平の諸藩主に仕え、寺社の祈祷具または一般市民にとって欠かせない鍋釜、風呂釜にいたるまでの生活用品をも製作してきた。その一つである新たな年を迎えようとしている長谷寺の梵鐘は「公衆磐前郡山湯長谷邑。宇治山長谷禅寺現住良恵謹誌」の鐘銘からして、江戸末期の文久3年(1863)住職良恵のときに壊れた前の鐘を鋳つぶして椎名淺右衛門義忠が再鋳した、一区九乳四面の百八の煩悩を拭う梵鐘である。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://ihojin.blog99.fc2.com/tb.php/64-d65383b7

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する