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天心逝いて九十九年・秘恋の肖像  2011年4・5月号

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平成23年3月11日、14時46分頃、三陸海岸沖を震源とした近代最大のM9という大地震が起きた。
6メートルの津波は五浦海岸の六角堂を襲い去り、旧邸の天心の横顔と”亜細亜は一つなり”
と彫られた詞碑近くまで上がったと報じられた。六角堂は東京美術学校長をした
岡倉天心(覚三・1869~1913)の創設になる日本美術院が、五浦に移る前の明治38年夏に
造った天心の瞑想の場であった。石碑造作中のある日、この辺で一枚の古写真が偶然見つかり、
N氏が”天心逝いて40年・秘恋の肖像・五ッ浦旧跡で発見”という一文をのこしたことがあった。
「・・嘗て五浦に遊んだ時、一人の石工が天心の碑「亜細亜は一つなり」を刻んていた。ふと足元を
見ると、一枚の写真があり、何気なく見ると、それにTOOKAKURAKAKUZOと
サインがしてあったので不審に思って石工に出所を尋ねると天心の別荘からだという。
写真の人物”ルント”という姓は、北欧系によくあるもので、日本流に”岡倉覚三へ ルント”
の宛名があることから推して、浅からぬ間柄であったとみてよいだろう。1940の西暦は、清見陸郎の
初期の天心伝をみると天心のボストン美術館時代に美貌の令嬢を伴ったノルウェーの国会議長が
彼と親交があったので、おそらく、この写真の令嬢ではあるまいか!・・・」というものであった。
N氏は中柴光泰氏である。
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